バトンプロジェクト:二坪の眼-掲示板

-思考実験工房-
主催:DWKS (バトンすべきものは何?)

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●ノコギリアン・ガッカイ 2023
『ノコギリヤネ・コウゲンガク』
https://36way.net/nag/nag2023.htm
会期:2023.12.21 - 2024.2.29
会場:ノコギリアン・コウバ
主催:ノコギリアン・コウバ、二坪の眼
展示:Koubas_Only(Natty & Colin)
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・ノコギリアン文庫
断章“ノコギリヤネのある風景”

【考察】:ノコギリアン文庫『断章“ノコギリヤネのある風景”』

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Cafe-talk by Wataridori


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[1389] ノコギリヤネのある風景の発見  aoki@dwks  - 2023/12/16(土) 12:09:52 -

Re:https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1370;id=ad138 ここまでの考察を含めて原点に立ち戻ってみる。 ・“ノコギリヤネのある風景”の発見(2019.12.30) ( 断章“ノコギリヤネのある風景 ”その1 ) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/1230_noko-fukei-1.pdf 表紙には「閉ざされたノコギリヤネの扉」が掲げられている。 さしずめ、ノコやんはこの「閉ざされた扉」に立ち向かった、ということだろうか。 ここでまず、ノコやんは自筆の(「“タマノイノコ”に見る風景の予感」2019.10.31)を紹介している。 https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/1031_tamanoinoko.pdf この手記は『断章“ノコギリヤネのある風景 ”』の前章と言ってもいいだろう。そこには、ノコやんの「都市計画家」「建築家」としての「顔」を覗かしている。 > ノコギリヤネはワタシの原風景である。現在は神奈川に住んでいるが、一宮市に生まれ、二十代半ばまで暮らした。そして、都市計画・まちづくりを生業とし、全国各地を巡る中で、この尾張の“ノコギリヤネのある風景”が、どこにもないユニークなものであることを実感した。ノコギリヤネの残る地域は幾つかあるが、この地域ほど広範囲にわたりかつ集積のあるところはない。 > 「ガチャ万」ではなく、1970年代後半のテレビアニメに「ガッチャマン」という正義のヒーローがいた。高度経済成長による歪みが明らかになり、都市計画の世界では、開発による発展とは異なるビジョンが提示された。例えば、三全総(第三次全国総合開発計画)がそうだ。その後の展開次第で、いまとは違う日本になっていたかもしれない。当時に戻っていまの時代を考えてみることは、決して愚かな行為ではないと思う。それは現在を否定して、昔に戻るということではない。どうしてこういう社会になったかを見定めることが大切であり、そこに未来に対する気づきが生まれるはずである。歴史に学ぶとはそういうことだろう。ノコギリヤネはその時代の生き証人である。彼らと対話することから見えてくるものがあるはずだ。いま、世界正義のために戦うヒーローを求めるのは時代錯誤だ。日々の暮らしの中で、これからの生き方を提示してくれる新しいヒーローが出てくるのではないか。それは、ノコギリヤネを「ガチャ万」の呪縛から解放することとリンクしているような気がしている。 ここで「ノコギリヤネ」(彼ら)と対話する、という指摘がなされている。それは文字通り、ノコやん自身の「ノコギリヤネ」との対話として『断章“ノコギリヤネのある風景 ”』の展開へと発展していく。 前章として、布石のように置いたいくつかのキーワードを列挙してみたい。 ・ノコギリヤネの壁面が立っている=タブララサ ※タブララサ:何も書かれていない書板の意。ロックが、デカルトの生得観念に反対して、人間は生まれたとき全白紙の状態であり、経験からの印象により知識が成立すると主張した際に用いたことば。 ・“フォリー”としての“織壁” ※“フォリー”(folly)と呼ばれる建築がある。「西洋の庭園などにみられる装飾用の建物で、居住や雨風をしのぐといった用途がまったくないもの」(Wikipedia)である。 ・土地や家族に対する思いが織り込まれている。=“プライド・オブ・プレイス(pride of place)”である。 ・「のこぎり三」 ・「タウンキュレーション」 ・セレンディピティ=「思いもよらなかった偶然がもたらす幸運」 この前章の中には、「タウンキュレーション」による「のこぎり三」を描く「アート思考」が芽生えている。 そして約二ヶ月を経て、『断章“ノコギリヤネのある風景 ”』の連載がはじまる。 https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/1230_noko-fukei-1.pdf “ノコギリヤネのある風景”の発見(2019.12.30) > ワタシは、この地域の「のこぎり屋根」の工場建築(及び旧工場を含むすべて)を「親しみ+ポテンシャル」を込めて“ノコギリヤネ”と呼んでいる。 ノコやんは、カタカナ表記がお好みのようだ。 > ノコギリヤネの新たな利活用という部分にとらわれず、「風景」という俯瞰的な視点から、この地域のノコギリヤネをめぐる状況を探っていこうと思う。 「風景を俯瞰する」(地図)という視点が軸に置かれたようだ。これが、マスミダカラスの誕生につながっていくのかな。 > 1. 2006 年6月 17 日:ワタシの“ノコギリヤネのある風景”の発見 > それは、13 年ほど前に遡る。都市計画・まちづくりのコンサルティング業務に携わってほぼ四半世紀が過ぎていた。その間、国や地方の重要プロジェクト等に携わる機会も幾つか経験した。しかしながら、誤解を恐れずに言えば、計画づくりの多くは結果ありきのもので、その理屈を構築する作業に過ぎなかった。上滑りの言葉が並ぶ「計画のための計画づくり」。しかし、ワタシもそれに加担してきた訳だ。それでも、可能な限り、都市計画プランナー/都市計画家としての良心を注ぎ込む努力はする。しかし、流れはもう決まっているのだ。正直に言えば、仕事としての都市計画・まちづくりに限界を感じ、嫌気がさしていた。 手記を綴る発動力がここにあるのかもしれない。それが「自身との“対話”」 > ある土曜日の朝、全国紙の文化欄に、見覚えのある建造物の写真を発見した。いわゆる「のこぎり屋根」の工場である。ああ、ワタシのふるさとだ。写真から、機を折る音が聞こえてくる。ガッチャン、ガッチャン。ワタシは、いま、小学生になって写真の中にいる。初めて「のこぎり屋根」を風景として意識したような気がした。風景とは、「「景」とはひかりの意として、@目の前にひろがる眺め。景色。Aその場のようす。情景。」(大辞林第三版)とある。それは単に見えるものではなく、心にあるものが投影されて、心にある感じを起こすものだろう。それは、懐かしさだけではなかった。ワタシは、写真の「のこぎり屋根」に何かしらの可能性、期待を感じていたのだろう。ワタシは、新聞記事の見出しのごとく、「恋に落ちてしまった」のかもしれない、ノコギリヤネに。 「風景」とは、見えるものだけでなく、心象も含めたもの。と解している。それが「自身との“対話”」の中で描かれていく。 > ワタシのノコギリヤネドラマはここから始まった。(2006.6.17) この時すでに、ノコやんの「行き先」が変わったのかもしれない。 > 2. 2012 年2月4日:「産業遺産」としての“ノコギリヤネのある風景” > “ノコギリヤネのある風景”の発見の翌年、偶然にも、一宮市の中心市街地活性化計画の見直しに関わることになり、地元でまちづくりに関わる方々とも知遇を得て、故郷に通うようになった。ノコギリヤネについて、少しずつ分かってきた。 > 2012 年には、起にある一宮市尾西歴史民俗資料館において「のこぎり屋根と毛織物」と題する特別展が開催されている。少なからぬ市民が、この特別展を通して、身近な存在のノコギリヤネをこの地域の資源として注目するきっかけとなったのではないだろうか。市民レベルで、「産業遺産」としての“ノコギリヤネのある風景”が発見された。 > 3.2016 年 11 月3日:“ノコギリヤネのある風景”のメタモルフォーゼ > 全国紙の文化欄に、原風景としての“ノコギリヤネのある風景”を発見してから、十年が経過していた。 > 「恋に落ちた」に反して、ワタシは、熱心なノコギリヤネ・ウォッチャーではなかった。 > ワタシの関心は、この“ノコギリヤネのある風景”の背後にある地域社会そのものにあった。だから、先達の力(伊藤喜栄元慶応大学教授)を借りて、起、一宮市を超えた尾張/尾州の広がりの中で、海あるいは河川氾濫原であった古代まで俯瞰した「地歴学講座」を立ち上げ、自分なりにこの地域の成り立ちから学ぶことを始めた。 ・ノコギリアン(今枝忠彦)の活動履歴 https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/prof.htm > そして、「のこぎり二」に遭遇した。それは、産業遺産として展開されつつあった“ノコギリヤネのある風景”を大きく変えるものであった。ノコギリヤネの根源にある「家族」を問うものであった。工場からギャラリー・工房等への単なるリノベーションではない。生物学で、変態/メタモルフォーゼとは、「動物の正常な生育過程において形態を変えること」(wikipedia)を表す。これになぞらえれば、「のこぎり屋根工場」から「のこぎり二」という“生育形態”へのメタモルフォーゼである。そして、「のこ座」というそこに集う人たちによる開かれた共同作業の場によって成長した。敷地内に建てられ、家族に閉じられた「のこぎり屋根工場」が、地域に開き、自らも成長していく“ノコギリヤネのある風景”へのメタモルフォーゼの姿を提示したのである。ワタシは、閉じた「のこぎり屋根工場」が開かれ、主体性を持って動き出すさまに、「ノコが起つ」という言葉を付してエールを贈りたい。ノコギリヤネのメタモルフォーゼに。 > ワタシが発見した“ノコギリヤネのある風景”は消えてしまった。これから、多くの“ノコギリヤネのある風景”がなくなってゆくことだろう。 > “ノコギリヤネのある風景”は、未来永劫に残るものではない。また、そうすべきものではないかもしれない。ワタシは、ノコギリヤネを、その構造、造作等から仮設的なものとして捉えている。これは、ノコギリヤネの価値を貶めるものではない。むしろ、メタモルフォーゼという変身、さらなる成長が期待できるということだ。そして、仮設的であることは、移築という展開も視野に入ってくる。仄聞するに、可能性は高いという。 > “ノコギリヤネのある風景”は、極めてコンテンポラリーかつ創造的なテーマを提供してくれる。暫くの間、“ノコギリヤネのある風景”と付き合ってみようと思う。“恋”ならぬ“ノコギリヤネ”に堕ちた身としては。 ノコやんの「行き先」 ・2006.6.17:全国紙の文化欄に見覚えのある建造物写真「のこぎり屋根」の工場が扉を開く ・2007:一宮市の中心市街地活性化計画の見直しに関わることになり、地元でまちづくりに関わる方々とも知遇を得て、故郷に通うようになった。 ・2012:起にある一宮市尾西歴史民俗資料館において「のこぎり屋根と毛織物」と題する特別展が開催される。少なからぬ市民が、この特別展を通して、身近な存在のノコギリヤネをこの地域の資源として注目するきっかけとなったのではないだろうか。市民レベルで、「産業遺産」としての“ノコギリヤネのある風景”が発見された。 ・2016:ワタシの関心は、この“ノコギリヤネのある風景”の背後にある地域社会そのものにあった。だから、先達の力(伊藤喜栄元慶応大学教授)を借りて、起、一宮市を超えた尾張/尾州の広がりの中で、海あるいは河川氾濫原であった古代まで俯瞰した「地歴学講座」を立ち上げ、自分なりにこの地域の成り立ちから学ぶことを始めた。 ・2016.11.03:「のこぎりニ」・「のこ座」への参加 ・2017.11.03:第十四回「のこ座」『ノコギリヤネ・ウツホモノガタリ』を主催 https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/nokoza14_report.pdf ・2019.12.30:『断章“ノコギリヤネのある風景 ”』執筆開始 https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/nokoyane.htm ・2021.04.30:ノコギリアン・コウバを開設 https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/kouba.htm ・2021.05:ノコギリアン文庫フェア2021 https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/_ex/Fair2021/ ・2021.08.01:ノコギリアン・ガッカイを設立(カイチョウ就任) https://36way.net/nag/ 以後毎年、展示発表会を開催する。 ・ノコギリアン・ガッカイ 2021 https://36way.net/nag/nag2021.htm ・ノコギリアン・ガッカイ 2022 https://36way.net/nag/nag2022.htm ・ノコギリアン・ガッカイ 2023 https://36way.net/nag/nag2023.htm 2006年に、自身の中に「のこぎり屋根」の「扉」が開かれた「今枝」氏。 2007年には、「のこぎり屋根の“地”・一宮市(出身地)」と縁起する。 2016年、一宮市にて「地歴学講座」を立ち上げる。 2016年11月3日、第一回「のこ座」に参加。 2017年11月3日、第十四回「のこ座」『ノコギリヤネ・ウツホモノガタリ』を主催。→「自称:ノコギリアン」と成る。 『自身の行き先が変わる』。 そこには不意に遭遇する「縁起」があり、これを受容することによって「主体性」が生まれる。 「縁起」(サイン)は日常の「からっぽ」に潜んでおり、これを見逃すことなく、しっかり受け留めるためには、自身が開いている必要がある。 魅せられるもの。それはすでに自身の裡に内包されている。「縁起」はそれとシンクロ(対話)する。 ノコやんの行き先は、都市計画家の道からそれとは異なった道へと導かれたのかもしれない。それは、自身が自身と重なるための「行き先」。 添付画像【1389_2023-12-15_20-02-24.JPG : 155.7KB】

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[1386] 「のこぎり二」で開かれた二つの祝祭(番外編) aoki@dwks 2023/12/12(火) 12:28:28
[1387] 8.5 真夏の夜の“キョウエン”(番外編) aoki@dwks 2023/12/13(水) 09:34:15 [添付]
[1388] 「ノコギリヤネ 100 年マップ」 aoki@dwks 2023/12/13(水) 12:29:18 [添付]
[1382] 縁起装置 aoki@dwks 2023/12/09(土) 12:47:49
[1389] ノコギリヤネのある風景の発見 aoki@dwks 2023/12/16(土) 12:09:52 [添付]
[1395] 行(生)き先が変わる aoki@dwks 2024/03/07(木) 13:39:40

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