バトンプロジェクト:二坪の眼-掲示板

-思考実験工房-
主催:DWKS (バトンすべきものは何?)

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●ノコギリアン・ガッカイ 2023
『ノコギリヤネ・コウゲンガク』
https://36way.net/nag/nag2023.htm
会期:2023.12.21 - 2024.2.29
会場:ノコギリアン・コウバ
主催:ノコギリアン・コウバ、二坪の眼
展示:Koubas_Only(Natty & Colin)
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・ノコギリアン文庫
断章“ノコギリヤネのある風景”

【考察】:ノコギリアン文庫『断章“ノコギリヤネのある風景”』

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Cafe-talk by Wataridori


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[1370] 【考察】:ノコギリアン文庫『断章“ノコギリヤネのある風景”』 aoki@dwks 2023/11/20(月) 22:20:18

[1385] オワリの大きな“からっぽ”・一宮(その5) aoki@dwks 2023/12/11(月) 12:59:38
[1386] 「のこぎり二」で開かれた二つの祝祭(番外編) aoki@dwks 2023/12/12(火) 12:28:28
[1387] 8.5 真夏の夜の“キョウエン”(番外編) aoki@dwks 2023/12/13(水) 09:34:15 [添付]
[1388] 「ノコギリヤネ 100 年マップ」 aoki@dwks 2023/12/13(水) 12:29:18 [添付]


Re:https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1384;id=ad138 > 「ノコのある風景」の中でも重要なキーワードになっています。 ・オワリの大きな“からっぽ”・一宮 (断章“ノコギリヤネのある風景 ”その5) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/20200923_noko-fukei-5.pdf 2020.9.22 1.“からっぽ”になった一宮 2.“からっぽ”から生まれた「ガチャ万」 3.“からっぽ”、ウツホ、ゼロ・・・それは始まりのチカラ 4.「一宮という虚構」あるいは「オワリのからっぽ物語」 ※この章から「マスミダカラス」(対話)が登場しています。 以下、マスミダカラスの台詞から抜粋... ・神社なんて、“からっぽ”の器さ。何もないところに、人々の思いが籠り、それが大きな力を溜め込む。...“からっぽ”は使い方次第だ。そこから生まれる力は大きい。 ・それは、何もないのではなく、何ものにもなる始まりのカタチだ。だから、モノ、人が集まる。 そして... 『 この“大きなからっぽ”がガチャ万を生む契機となり、そのガチャ万に呪縛された象徴であるノコギリヤネは無数の“小さなからっぽ”として、この地域を変えていくかもしれないという期待 』 と結んでいる。 「からっぽ」は、マスミダカラスの“俯瞰の眼”によって映し出された。人間の視点からでは見えないものなのかもしれない。地べたにへばりつく二次元な視界からは見る(感知する)ことはできず、「高さ」を持った三次元な視界を得てはじめて見えてくるもの。その「高さ」という次元は、想像力で補えるものなのかもしれない。ノコやんが「マスミダカラス」を登場させたように。 「からっぽ」は、すべての人に見える(感知できる)ものではない。 「からっぽ」が見えた(感知した)人でも、その見え方は様々である。 「からっぽ」には、自身(の裡)が投影される。 「からっぽ」は、自身が表現者となる「入口」でもある。 そこで発するあなたのことば(表現)を点検してみてください。

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Re:https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1385;id=ad138 > そこで発するあなたのことば(表現)を点検してみてください。 「のこぎり二」で開かれた二つの祝祭(番外編) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/20220921_noko_bangai.pdf 2022.9.21 この章は、「のこぎりニ」という「ノコギリヤネ」の「からっぽ」の中で展開された二人のアート・パフォーマンスの記録です。 ノコやんはマスミダカラスに代弁させるように記しています。 ---全文転記--- ●0903「のこぎり二」のオニから聞いた話 @ サウンドインスタレーション:北條知子 オレは「のこぎり二」に棲むオニである。オレに見えるものが人間には見えないことがあるようだ。その日、「のこぎり二」で起きたこと、オレが見たことを教えてやろう。 そのアーティストが持ち込んだモノは、釣鐘のような形状をしており、言葉が書かれた短冊で網目状に構成されていた。短冊に書かれた言葉に「いのち」が宿ったのだろうか。それは、制作者の意図を超えて、進化していったのかもしれない。この「のこぎり二」の中で。 釣鐘の中から縄文琴の音が響く。この地域がまだ海であった時代を思い起こさせる。古代から人間は織物を紡いできた。その多くは女性の手によるものだった。ある時は、織姫ともてはやされた。オレはずっと見てきた。言葉と現実の間に存在するものを。 「ウツホ(空洞)」の中で、琴の音が風を起こし、釣鐘を解きほぐしてゆく。そして、言葉が宙にさまよい始めた。暑さの中で汗が滲み出し、言葉が身体にまとわりつく。やがて言葉は体内に浸透し、血液とともに身体全体を巡り始める。そして、ウチから湧き上がるものがある。 「ガチャマンの呪縛」という言葉が聞こえた。いまだに、一時の繁栄の中に多くのものが仕舞い込まれている。生きていく上で大切な何かを。そろそろ、土地も人もその呪縛から解放される頃だろう。オレが見たのはその可能性だ。ウチから音を発するということによって、ウチから開いていくということ。この「ウツホ/からっぽ」から発する音によって。 ●0903「のこぎり二」のオニから聞いた話 A サウンドパフォーマンス:恩田晃 「のこぎり二」に一人の祭司が召喚された。西洋のベルを携えて。それは、「広場」から始まった。広場では、多くの出会い、別れがあり、旅立ちがある。彼はソトに出た。一行が続く。ソトは闇だ。オレは閃光と雷鳴で迎えた。やがて周りが見えてくる。ウチでは見えないもの、聞いたことがないものと出会う。そして時が過ぎ、ウチに帰る。今度は工房エリアを巡行する。 小さなコミュニティの中を歩いていく。ベルの音に大地は目覚め、初めて訪れた者も、身体から大地の記憶を受け取る。やがて、例の釣鐘の前で立ち止まる。その前に小さなベルが並べられていく。その数は奇しくも 13。そこで、コミュニティが祝福される。 そして、おもむろに二つのベルとともに、彼は「境界」を超えて行った。そこは、大きな力を鼓舞する祝祭の場。しかし、彼はひるむことはない。こちらとそちらに違いはない。そうだ、ここは「のこぎり二」だ。だが、彼に続く者はいない。そこに「境界」を見てしまったのかもしれない。しかし、境界に踏み込むことで、開くことができるのかもしれない。例えば、呪縛を解くために。 時間が流れ、再び、広場に戻ってきた。「ウツホ/からっぽ」の伽藍に響き渡るベルの音に、記憶が再び呼び覚まされる。祝祭は終わり、また日常が始まるのだ。「のこぎり二」の新たな日常が。これが、オレの見たことだ。さて、オマエには、何が見えた? ---- そして、 > 機織り唄の釣鐘と西洋のベル。それは「ウツホ」から音を発するもの。ソトからの力ではなく、ウチから生まれる日常の力。新たな開き方の可能性を見たように思う。 と結んでいる。 「ソトからの力ではなく、ウチから生まれる日常の力」。 「からっぽ」の中での「からっぽ」から繰り広げられたアート。 ・アートのチカラ ・表現することの力 ノコやんもまた、表現者のひとりである。 表現者が表現者に呼応する「時」、 受容は“自由”だ。 表現の“場”が日常(まち)の中にあること。 そこにウチから生まれる可能性がある。

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[1387] 8.5 真夏の夜の“キョウエン”(番外編)  aoki@dwks  - 2023/12/13(水) 09:34:15 -

Re:https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1386;id=ad138 > 「からっぽ」の中での「からっぽ」から繰り広げられたアート。 8.5 真夏の夜の“キョウエン”(番外編) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/20230823_noko-fukei-15_bangai.pdf 2023.8.23 1. “からっぽ”の中の“からっぽ” > この展示空間の大きさは、100u程であるが、大きな“からっぽ”である。創造力の原泉である一方、ここで展示をする者は、この空間に対峙する覚悟が要求される。さて、今夜のアーティストは、ここにどのような「場」を創るのだろう。 > 上から見ていて気づいたことがある。移動の軌跡だ。それは、ほぼ円弧を描いていた。中央には踏み込まない。まるで、真ん中に“からっぽ”を造り、それと対話するかのように。お前たちの視線は、一挙手一投足を追っかける。手で指し示す先を見る。顔を上げれば、その先を追う。そうして、時間を掛けながら、お前たちは、この“からっぽ”の器そのものを隅から隅までを眺めることになった。モノローグ(独演)のように見えるその動きは、のこぎり二との共演から生まれたものに違いない。 > アーティストは、見えないものを見せてくれる。マレビトも同じだ。身近にありながら見ていなかったのこぎり二の“からっぽ”をあらためて気づかせてくれたという訳か。 この紙面に添えられた“舞”の写真(図)。ノコやんの力作(ブリコラージュ)です。傑作です。時間と空間を切り貼りして「からっぽ」を描いている。右奥の白い漆喰の壁には、南方熊楠の萃点の図が象徴的に嵌めこまれている。 「からっぽ」に魅せられ(見)た者だけに描ける“図”なのかもしれない(見えないもの“エネルギー”を見せてくれる)。それが個々の行き先を変えてしまう。ノコやんが自身の裡なる“図”を具現化したように。そこには自身との「対話」があったはず。 互いの“自身との「対話」”同士が絡み合うのが「萃点」という“場”なのかもしれない。時間と空間が凝縮された“場”。それが現実に起こり得ているという“縁起”。わたしたちはそんな日常の中で暮らしている。 > それは、単なる調和、融合ではなく、自立した主体が輻輳するポリフォニーである。 > パフォーマンス終了後のアーティストを交えた“饗宴”。地産のスイカをいただいた。アートの地産地消。そんなフレーズが浮かんだ。いや、地産地生だろうか。独自の地域のリサーチから始まるアートが地域を再生する。 ・アート鑑賞を軸にした対話から育むもの ※ノコやんの「ブリコラージュ」という手法。 ノコやんの手元には膨大な写真資料(図)が保管されているのだろう。写真は時間と空間を切り取った絵(図)でもある。それらを任意に再構築して見えてくるものが「ブリコラージュ」。思考もまたしかり。 私たちの経験や記憶、想像や創造もまた、自身の中で「ブリコラージュ」された“今”があるのかもしれない。 添付画像【1387_2023-12-13.JPG : 270.1KB】

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[1388] 「ノコギリヤネ 100 年マップ」  aoki@dwks  - 2023/12/13(水) 12:29:18 -

Re:https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1387;id=ad138 > ・アート鑑賞を軸にした対話から育むもの 「ノコギリヤネ100年マップ」は、ノコギリアン文庫フェア2021(2021年5月23日-7月25日)にて発表された作品です。 https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/_ex/Fair2021/ この会期中に、「Symposium“ノコギリヤネのある風景”から見えてきたこと」(2021年6月27日)が開催されました。 https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/_ex/Fair2021/symposium-2021_1.htm この展開記録は以下に収録されています。 https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=ntr;tree=1111;id=ad138 そして、ノコやんは以下の「開催後記」を残しています。 ● 6・27 シンポジウム「ノコギリヤネのある風景から見えてきたこと」開催後記(2021.7.7) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/_ex/Fair2021/lib/20210707-kouki.pdf > そもそもシンポジウムで伝えたかったことは何か。それは、ノコギリヤネを個人の内面を反映した「風景」としてとらえること、その先に「コウバのあるまち」がイメージできそうなこと、それを説明する手段として「ノコギリヤネ 100 年マップ」を作成したことでした。「コウバ」とは、「公場」であり、公は「ム(私)を八(開)く」と書けます。そして、私自身が「のこぎり二」に出会い、行き先が変わってしまうほどのエネルギーを得る“萃点(すいてん)”を実感したように、それは市内に残るノコギリヤネが持っている可能性であり、その中からいくつかのノコギリヤネが「コウバ」として開かれ、「まち」が元気になることを期待するものです。 漠然と、ですが。ノコやんの信条(心情)が「ノコギリヤネ 100 年マップ」という作品に込められています。会期中、この作品を前に、おもしろい鑑賞シーンがありました。 ・[1154] 20210617:本日の観覧者(談話)- 2021/06/17(木) - https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1154;id=ad138 > 「鏡のように見えます」 > え?カガミ...ですか?どこがカガミなんでしょう? > .... > (※添付画像参照) この鑑賞者もまた、展示作品との対峙の中で「特異点」を見つけ出してしまったのではないでしょうか。立ち会いの中で、とても素直な感想が心に響いたことを覚えています。そしてその不思議さを興奮の中で一緒に楽しんでいました。なるほどな、と。 作品「ノコギリヤネ 100 年マップ」の見せ方として、「時間」と「空間」という概念を如何に受け留めてもらえるか?という課題と狙いがありました。そのために作られた「覗き穴」(鑑賞点)。それもまた「からっぽ」だった、ということでしょうか。 現実でありながら現実を超えた不思議なものを想像してしまう。それは“その場”に臨場してこそ得られる感覚。それが、アートのチカラ、作品の力。ノコやんは「可能性への期待」を手探りしていたが、自身の「番外編」(http://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1379;id=ad138)を追っていく中で、「アート(表現)の可能性」を具体的に見い出していく。「ノコギリヤネ 100 年マップ」がアート作品であると同時に、ライフワークにもなっている「Artbook」の制作もまた表現物である。 https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/nokoyane_artbook.htm これらとの「対話の機会」を日常的に「置く」ことが、「ノコギリアン」の活動スタイルなのだろう。「ノコギリアン」の「扉」は、いつでも開いています。 添付画像【1388_2023-12-13-11.JPG : 186.4KB】

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