わたしにはわたしを確かめる術が無い。
これは不文律か。
わたしがわたしだと思っているわたしは、
全きわたしではない。
わたしがわたしを知れずして、
わたしはわたしを伝えることができるだろうか?
わたしの中に錯覚が生まれている....?
決して掴まえることができない錯覚。
錯覚は、わたしが及ばないところで、
わたしに影響を及ぼしている。
好き、とか嫌い....とか。
わたしの感情。
感情がわたしを突き動かす。
おまえは誰だ?
わたしに問いたい。
錯覚はいつも断片的。
浮かんでは消え、
消えては浮かぶ。
神出鬼行。
錯覚の断片は振動する。
時のカケラが共振する。
錯覚は増幅される。
わたしは錯覚の波に飲み込まれる。
だから、好きなの。
だから、嫌いなの。
わたしの好き嫌いに因果は見えない。
錯覚に飲み込まれたわたしの感情。
それがわたしとして存在する。
わたしはわたしの感情を引き受ける。
感情の粒子。
掌に乗せて眺めてみたい。
見えるのか?
平面に奥行きのある空間を描く。
一本の線を配置する。
空間が歪む。
見る側の錯覚と混乱。
立体に光を当てる。
平面に投影される影。
別の立体が出現する。
空間の組み合わせ。
どこまでが現実で、
どこからが錯覚なのか。
果たして境界があるのか。
二次元から見た三次元。
三次元から見た四次元五次元。
見えるのか?
影から想像してみる。
断層から想像してみる。
錯覚のイマジネーション!
具現化はどこまでも三次元。
囚われの身。
制約の身。
わたしの影。
断片なるわたし。
真夜中の公園は相変わらずベンチが点滅している。いくつかの灯りが消え、いくつかの灯りが点く。ベンチに座る人、ベンチを立ち去る人。そんな光景が遠く彼方にまで繰り広げられています。わたしのベンチもまた、彼方からは点滅するベンチのひとつとして映るのでしょう。