真夜中の公園に来ています。外灯の下、ベンチに座っています。
真夜中の公園は、ベンチに座ると外灯が灯るようです。外灯はベンチを照らしているのではなく、人を照らしているようです。自動点灯のスポット照明ですね。それはあたかもパーソナルスペースを明示しているようでもあります。
そんな灯りが、真夜中の公園には点在しています。そこに人影は見えません。きっと光に包まれているのでしょう。いくつかの灯りが消え、いくつかの灯りが点く。ベンチに座る人、ベンチを立ち去る人。そんな光景が遠く彼方にまで繰り広げられています。
風に吹かれる木の葉の囁き。大きく深呼吸をします。風が薫ります。これが真夜中の公園の匂い。
突然、ベンチの端に灯りが点る。
「座ってもよろしいですか?」
「どうぞ。」
「ありがとうございます。」
声はすれども姿は見えない。
「そろそろこの公園を立ち去ろうと思っていたところでした。」
「わたしは今来たばかりです。」
「そのようですね。あなたの点灯が見えました。」
「ご関心いただきありがとうございます。」
「他の灯りとは少し色合いが違っていますね。」
「色、ですか...」
「自分で自分の色は判りません。」
「わたしには他の灯りも皆同じように見えます。」
「いずれ、特異な灯りを見つけることになるかもしれません。私があなたを見つけたように。」
「すると、あなたはわたしに会うためにここに来たのですか?」
「そうですね。そうかもしれません。ここを立ち去る前に。」
「わたしの色は他の色とどのように違うのですか?」
「それは説明の難しい質問ですね....。」
「でも、あなたはわたしの色を選んでここに座ったんですよね。」
「そうです。たぶん、そうです。」
「あなたがわたしの色を選んだ理由が聞きたいです。」
「選ぶべくして選ばされた。とも言えます。」
「選ばされた....?」
「そう、私はこの公園を立ち去ろうとしていました。そこへあなたが現れて、私は足を留めた。この衝動の私を私は説明することができません。」
「確かに難しい話になって来ましたね。」
「あなたが私を選んだ、とも言えます。」
「わたしがあなたを引き留めた、と?」
「そうです。そのための色を、あなたが放ったと。」
「わたしにはわたしの色が判らないのですよね。だとすれば、わたしがわたしの色をコントロールすることもできないのではありませんか?」
「その通りです。それは私も同じことです。私はあなたを選ぶことをコントロールすることはできません。」
「それではわたしたちの意志というものは、わたしたちにとってどういう意味があのでしょう?」
「幻想のようなものかもしれません。」
「意志が幻想だとすると、生きている根拠が持ち辛くなりませんか?」
「そもそも意志というものが、私たちの中でどのように成り立っているのか。それは社会との関わりの中で築かれていくものでしょう。」
「社会を生きるために自分の意志が必要だからなんじゃないですか?」
「社会そのものが幻想だとしたら、そこに成り立つ意志も幻想に過ぎません。」
「社会が幻想だなんて、受け入れがたいことなんじゃないですか?」
「ふむ。幻想とはなにか。」
「現実ではないこと。ですよね。」
「はい。現実と幻想。このふたつは、実は同じものじゃないか、ということです。」
「言葉のマジックですか?」
「マジック。....そうかもしれませんね。マジックです。マジックは理解しがたい不思議な現実ですよね。少なくとも、私たちはそれを驚きと困惑の中で許容するセンスを持ち合わせています。それは救いでしょう。」
「救い....ですか?」
「そう、救いです。あなたが私を受け入れたように。あなたは何の抵抗も無く、私をベンチに座らせてくれました。」
「驚きも困惑もありませんでしたけどね....」
「すばらしいことです。」
「あなたがここに居ることは現実なんじゃないですか?」
「色は混ざり合っているんですよね。そして、ここの公園にはすべての色がある。でも、すべての色が見えるわけではない。」
「わたしにはあなたの灯りが見えました。声も聞こえました。」
「それは、私のすべての灯りではないかもしれませんし、私の声もすべての声ではないかもしれません。」
「だとすれば、わたしに関してもあなたにとってすべてのわたしではない、ということですか?」
「たぶん、そうだろうと思います。」
「そうであったとしても、今、わたしが知覚できていることが現実なのではありませんか?たとえあなたがマジックで存在していたとしても。」
「その知覚センサーには、ある種の機能制限がなされている、という現実と、感知できない現象も確かに存在している、という現実。ただしそれは、幻想という名の下でしか察知できないものです。いわゆる、五感がすべてでは無いという現実の背景に幻想という非現実なるものが横たわっているんですよね。」
「幻想という非現実を現実の中に取り込んでしまうとややこしくなりませんか?」
「局面によっては整合性を保ちきれず論理的破綻が生じる場合もあるでしょう。察知力にバラツキがあるのが社会です。」
「破綻だらけのように思うこともあります。」
「局所的にはそのように映ることが多いでしょうね。五感という制約の中での整合性を規約の中で保とうとしているのが社会ですから。」
「五感に基準を置くことは、社会を構成することにおいてすごく自然なことだと思いますよ。」
「五感が数値化されていく、ということですよね。それは計測器と計算機の中に閉じ込められていく、ということだと思います。」
「つまり、計測器では計測不能な世界、計算機では計算不能な世界が存在する。ということですね。」
「そうですね。ただ私たちは、それを察知する力を備えています。それでも、それを工夫して表現する力は未熟なのです。私たちが自分のすべての色を把握しきれないように。」
「自分を表現したい、という欲求はあるんですよね。誰しもに。ただ、それが何故生じるのか?まではわからない。それが欲求というものだろう、としか....」
「それを精神活動というのではないかしら。私たちは社会の中では満たされていないからです。そして社会は精神活動をも含めて社会として成り立っている。」
「満たされない....危うい社会ですね。」
「社会は精神活動を計測することができないからです。しばしばそれは権威に置き換えられます。それが社会のマジックであり、幻想でもあるのです。」
「精神活動において満たされる、ということはあるのでしょうか?」
「欲求の持ち方次第だろうと思います。」
「社会に対する欲求ですか?」
「社会は常に一時的なものに過ぎません。常に振動しています。とても不安定な世界です。だからこそ欲求も生まれるのでしょうが、その矛先は自身の存在に向けられるべきです。」
「わたしの存在に....ですか?」
「たとえばあなたは、私の話を聞いてくれました。私はあなたに私を話すことができました。それが私にとってのあなたの存在です。あなたの灯りは照り返しなのかもしれませんね。あなたには聞く力があります。」
「....。」
「私はここを立ち去ります。あなたに会えてよかった。ありがとう。」