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by  aoki@dwks    2023/11/29(水) 09:36:26

【考察】:ノコギリアン文庫『断章“ノコギリヤネのある風景”』 ▼http://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=ntr;tree=1370;id=ad138 ---- ノコギリアン文庫『断章“ノコギリヤネのある風景”』 (2019.12.30から連載中) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/nokoyane.htm 著者:ノコギリアン(今枝忠彦) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/prof.htm ---- Re:https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1378;id=ad138 断章をつなぐ「番外編」 『断章“ノコギリヤネのある風景”』は、1話完結の断章形式で構成されれている。公開時系列に読み進めてもよいし、関心を引くタイトルなどからランダムに拾い読みしてもよい。あるいは、読み進める「順」によって見えてくるものや手応えなどが変わってくるかもしれない。 一宮のノコギリヤネを俯瞰しながらノコやんの目に映る“風景”が描かれていく中で、「番外編」と位置づけられた章がいくつかある。 ・エキノコ綺譚:ネコの眼・ノコの眼(「ノコギリヤネのある風景・その 10」番外編) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/20211215_ekinokokitan.pdf ・寓話「ノコギリヤネのつくる星座のまち」 https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/20220707_noko_bangai.pdf ・「のこぎり二」で開かれた二つの祝祭 https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/20220921_noko_bangai.pdf ・8.5 真夏の夜の“キョウエン” https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/20230823_noko-fukei-15_bangai.pdf いずれも、ノコやんが実際に立ち会った「アート作品の鑑賞」を題材にしている。 ノコやんの鑑賞の視点。 ノコギリヤネの「ウチ」で展示された作品とあって、ノコギリヤネを背景情報とした視点(観点)にもなっている。それは自身との対話の展開として描かれている。逆に言えば、自身との対話へトリガーするものが「アート作品」でもある、と。そんな対象物が日常の“風景”としてあることが「まち」に必要な要素のひとつでもある、と。 ノコギリヤネそのものがアート作品(名もない大工の建築)なのかもしれない。 ・4. 名もなきモダニズム建築 https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/20221203_noko-fukei-13.pdf

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by  aoki@dwks    2023/11/28(火) 09:54:13

【考察】:ノコギリアン文庫『断章“ノコギリヤネのある風景”』 ▼http://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=ntr;tree=1370;id=ad138 ---- ノコギリアン文庫『断章“ノコギリヤネのある風景”』 (2019.12.30から連載中) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/nokoyane.htm 著者:ノコギリアン(今枝忠彦) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/prof.htm ---- Re:https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1377;id=ad138 記憶想起 ノコやんは、都市計画的観点・建築的観点から「ノコギリヤネ」の存在をを捉えていますが、私は「ノコギリヤネ」に対する「人の反応」に関心があります。もちろん、ノコやんも“「ノコギリヤネ」に対する「人の反応」”に言及していますし、ノコやん自身も「反応した」ひとりであることが出発点となっています。 「ノコギリヤネ」への反応は世代によっても異なってくるものなのでしょう。年配層には懐かしさを含めた自身が生きた歴史と重なるものがあるのかもしれません。若者層にはどこか新鮮な異空間に映るものなのかもしれません。いずれにしろ、「人が反応する」なにかを持ち合わせている特異性が「ノコギリヤネ」にはあるんだろうな、と思います。 そこで「人の反応」に着目してみたいですね。 「ノコギリヤネ」との「対話」は、自分自身との「対話」ではないか、と。そんな「対話」ができる人、できない人。いろいろあるだろうと思います。ノコやんはそれを「縁起」と呼んでいるのかな。 縁の組合せは無数にあるものなので、皆が一様に「ノコギリヤネ」に反応するものではないでしょう。ただソコで、「反応」として自身との「対話」ができた人には、自身の裡に眠っていた無意識な感覚を呼び覚まされることになるんだろうと思います。 こうした「反応」が「縁起」する対象物は「ノコギリヤネ」だけとは限らないでしょう。人によってその対象物は変わる。大切なのは。「自身の裡に眠っていた無意識な感覚を呼び覚まされる」自覚にあるんじゃないだろうか。それを「自分の行き先が変わる」、とノコやんは表現している。 「迷い人」が不意に遭遇した対象物によって「縁起」が発生し、自身の行き先が変わる。そんな機会が「まち」のいたるとろに「扉」として存在する「まち」。ノコやんは、そんな「まち」を描いているのかもれない。 それは日常にあって不意に訪れるもの。 記憶想起。 今日も自身の右脳と左脳が対話している。

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by  aoki@dwks    2023/11/27(月) 09:01:19

【考察】:ノコギリアン文庫『断章“ノコギリヤネのある風景”』 ▼http://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=ntr;tree=1370;id=ad138 ---- ノコギリアン文庫『断章“ノコギリヤネのある風景”』 (2019.12.30から連載中) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/nokoyane.htm 著者:ノコギリアン(今枝忠彦) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/prof.htm ---- Re:https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1376;id=ad138 日常の図 ・「のこぎり二」で開かれた二つの祝祭 https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/20220921_noko_bangai.pdf > 初日の9月3日、夕刻に始まった二人のアーティストによるサウンドパフォーマンスは、「のこぎり二」に「新たな日常」の始まりを予感させるイベントとなった。 > その時、起きたことは、そこでしかあり得ないことだった。「のこぎり二」だから起きたことだった。 > それは「ウツホ」から音を発するもの。ソトからの力ではなく、ウチから生まれる日常の力。 > 小さなコミュニティが世界につながる日常。「ウツホ」の「のこぎり二」は、迷い人の未来を変える力を持つ。 「ウツホ」が持つ可能性への期待を大きく抱くノコやん。それは「ウツホ」と「対話」できた者だけに響く可能性のように思う。それが“ウチから生まれる日常の力”。 ただ、「力」にもいろいろなチカラがある。「ウツホ」はその「チカラ」を選ばない。「チカラ」の掛け違いによっては「ウツホ」を埋め尽くしてしまうことにもなるだろう。右脳と左脳とて、掛け違いは起きているのが日常だ。日常には多くのノイズが紛れ込んでいる。耳障りの良いノイズも多い。「ウツホ」が「ウツホ」で失くなった時、「ウツホ」の可能性は喪われていく。 「ウツホ」は埋め尽くされていくのが社会(時代)の潮流か。木曽八龍が地下に潜ったように。 ・木曽川という“ギフト” https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/20210303_noko-fukei-7.pdf 可能性を持った「ウツホ」は地下に潜るしかないのかもしれない。可能性という「チカラ」を分かち合える“場”として。それが、Rabbit Hole。(https://www.instagram.com/p/CzmpjK8vr3a/) それには、ウサギに誘われる必要があるのかな? 選ばれし人たち。それもまた「迷い人」なのだろう。 それは日常にあって不意に訪れるもの。

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by  aoki@dwks    2023/11/26(日) 08:19:31

【考察】:ノコギリアン文庫『断章“ノコギリヤネのある風景”』 ▼http://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=ntr;tree=1370;id=ad138 ---- ノコギリアン文庫『断章“ノコギリヤネのある風景”』 (2019.12.30から連載中) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/nokoyane.htm 著者:ノコギリアン(今枝忠彦) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/prof.htm ---- Re:https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1375;id=ad138 ノコギリヤネとの「対話」 ・8.5 真夏の夜の“キョウエン” https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/20230823_noko-fukei-15_bangai.pdf > モノローグ(独演)のように見えるその動きは、のこぎり二との共演から生まれたものに違いない。 > それは、単なる融合ではなくて、一緒に創造する行為を通して得られるものだろう。 > 独自の地域のリサーチから始まるアートが地域を再生する。 いくつか、ノコやんのセンテンスを抜き出してみた。 アートスペースは表現者の制作の場でもあり、発表の場でもある。 そして、ソコでしか制作し得ない作品、ソコでしか構成できない展示(発表)。そんなチカラが“場”にはあるんだろうな、と思う。 一宮には、2000棟ものノコギリヤネがある。そしてそれらは決して一様ではない。その一様ではない多様性(ミチノコ、ニワノコ、オクノコ...etc)に、ノコやんは「“まち”のおもしろさ」としての可能性を見ているような気がします。 多様性なる主体性。 それは個々に、裡に秘めたるものが呼び出された時にそれぞれが獲得していくもの。そんな機会の「扉」が“まち”の至るところにあることが“まち”の大きな魅力となっていく。 それは決して、声高に多くの人たちに支持される図ではなく、多様性の一片一片を確実に拾っていく日常の図なのではないだろうか。そんな「扉」に反応するのも自分自身なのだから。

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by  aoki@dwks    2023/11/25(土) 13:26:49

【考察】:ノコギリアン文庫『断章“ノコギリヤネのある風景”』 ▼http://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=ntr;tree=1370;id=ad138 ---- ノコギリアン文庫『断章“ノコギリヤネのある風景”』 (2019.12.30から連載中) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/nokoyane.htm 著者:ノコギリアン(今枝忠彦) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/prof.htm ---- Re:https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1374;id=ad138 迷い人。 「ノコの風景」の中には「迷い人」という記述が度々登場する。 どんなひとたちなのだろう? 多くの場合、「のこぎりニ」が舞台となっている。どうやら彼らは、ノコやんが実際に目撃・遭遇した実在の人物たちがモデルとなっているようだ。 「のこぎりニ」のアートスペースには「ゆたかふぇ」というカフェが隣接している。お茶を飲みに来ただけのカフェの利用客がアートスペースの見学に立ち寄る、という流れの中で「迷い人」が誕生するようだ。もちろん、アートスペースの噂を聞きつけ、興味を持って訪ねてくる人も少なからず居る。 いずれにしろアートスペースに足を踏み入れた途端、「不意に飲み込まれた」という感触を抱く人が「迷い人」に成っていく。それは自身の裡に眠っていたものを呼び覚まされた人たち。そういう人たちのことをノコやんはこう呼んでいる。「行(生)き先を変えられてしまった人たち」、と。ノコやんもそのうちのひとりだ、とも。 アートスペースに飲み込まれて自身の裡なるものが目を覚ます。 それはすべての人がそうなるわけではない。 そこには必ず「対話」があったはずだ。 ノコギリヤネとの「対話」が。 それは個々に個別のものだろうと思う。 もっとも、人は皆「迷い人」の素地を持って日常を送っているのだろうと思う。そして時として、その「扉」が開かれる場面に遭遇する、のだろう。 個々に個別に「行き先」は違うんだろうな...。 行き先の違う交わり...。 それも世の虚ろいか。

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by  aoki@dwks    2023/11/24(金) 11:04:37

【考察】:ノコギリアン文庫『断章“ノコギリヤネのある風景”』 ▼http://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=ntr;tree=1370;id=ad138 ---- ノコギリアン文庫『断章“ノコギリヤネのある風景”』 (2019.12.30から連載中) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/nokoyane.htm 著者:ノコギリアン(今枝忠彦) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/prof.htm ---- Re:https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1373;id=ad138 > 入口は出口であり、出口は入口でもある。 その「扉」は中空に浮かんでいる? そして「開口」(枠)は見えない。 いつの間にか「入って」いて、いつの間にか「出て」いる。 そんなふうに「迷い人」が「扉」と遭遇する。 ・寓話「ノコギリヤネのつくる星座のまち」 https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/20220707_noko_bangai.pdf そこでは自身との何かしらの「対話」が行われている。 「対話」は必ずしも「ことば」を持たない。 「マレビト」が姿・形を持たないように。 待てよ? マスミダカラスと筆者との「対話」は、ダイアローグではなくモノローグ(独白)なのかもしれないな。

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by  aoki@dwks    2023/11/23(木) 09:45:48

【考察】:ノコギリアン文庫『断章“ノコギリヤネのある風景”』 ▼http://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=ntr;tree=1370;id=ad138 ---- ノコギリアン文庫『断章“ノコギリヤネのある風景”』 (2019.12.30から連載中) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/nokoyane.htm 著者:ノコギリアン(今枝忠彦) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/prof.htm ---- Re:https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1372;id=ad138 > 私を開いて公となる 「ノコギリアン・ガッカイ 2022」のメインテーマが『私(ム)が開いて(ハ)、〈公〉になる』でした。 https://36way.net/nag/nag2022.htm 私を開く?どういうこと? となりますね。 ノコやんは、この展示会でウチとソトがひっくり返るキューブを展示しました。 ・ひるがえる墨会館 https://36way.net/nag/_2022/2022_02-sumikaikan.pdf ・ひるがえるノコギリヤネ https://36way.net/nag/_2022/2022_01-hirugaerunoko.pdf 「ウチとソトがひっくり返るキューブ」は「墨会館」の写真で構成されています。そして、「実は、ノコギリヤネは、ウチとソトが融合した不思議な空間なのです。」と結んでいます。 ウチとソトを融合したキューブ。それがノコギリヤネの可能性を具現化したもの、ということなのでしょう。 人間をひっくり返すと、内臓がソトに出て、皮膚がウチ側に収まる。 (口と肛門は空洞でつながっている。) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/instantlogue-1.pdf > 三木成夫という解剖学者が、植物は動物の初期だと言っています。 「動物のからだから腸管を引っこ抜いて袖まくりするように、それをそっくり裏返して、内側の絨毛を外側に向けたのが植物の姿態である」。ちょっと説明が必要ですが、まあ、植物も動物も生命はみんなドーナツということで。(ノコやんの思考実験です) ムカシ・ムカシ、私は。ヘビが自分自身を飲み込んだ“図”を想像していました。それは自身のしっぽから飲み込むのではなく、開けた口を大きく翻して自身を飲み込んでいく“図”です。ちょうど袋をひっくり返す動きになりますね。(ドーナツにはなりませんが) ドーナツ。 入口は出口であり、出口は入口でもある。 そして、入口と出口は“ドーナツ”を包んでいる。 そんな世界を生きているのでしょうか、わたしたちは。

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