かつて、毛織物工場として活躍していた木造の「のこぎり屋根工場」。その様式はあまりに特徴的だ。天井のない北向きの屋根から太陽の光を採っている。外観は、屋根の形がのこぎりの刃のようにも見える。地図記号の工場はこの形をしている。
地域ののこぎり屋根工場が、経済の隆盛を誇ったのは昭和四十年代辺りまで。産業の衰退と世代交代で、街ののこぎり屋根工場は役目を終えて、年々姿を消していっている。
一人の若者が巨大なのこぎり屋根工場を受け継いだ。五代目の工場はからっぽだった。
彼は芸術大学の卒業制作を祖父と一緒にのこぎり屋根工場で仕上げたと言う。今は、その祖父も他界して居ない。彼は建築も学び、のこぎり屋根工場の建造美にあらためて惹かれた。それはからっぽののこぎり屋根工場を見た時だった。これを壊してはいけない。活用していく道はないものか、と思案した。
そして、のこぎり屋根工場を掃除して利用者を募った。
八連ののこぎり屋根工場は広すぎる。半分を展示会場とし、半分を坪単位で工房貸しすることにした。社会に開放した斬新なアイデアだった。「工場内見学自由」とも謳った。
次第に見学者も増えていった。口コミで近隣から好奇心で訪れる若者も多い。そんな彼らが工場に足を踏み入れた時、大きな声が漏れてくる。
「わぁー、ばぁちゃんちと同じ匂いがする」
「あ、じぃちゃんちと同じ匂いだ」
木と土の匂い、機械油と羊毛糸の匂い。長い歳月にブレンドされた独特の匂い。のこぎり屋根の匂いは街の香り。
私は工場の片隅に、二坪の事務所を間借りしている。間仕切りの無いのこぎり屋根の下で、私には感知できない香りの息遣いを聞いている。