毛織物工場としての稼働を終えて眠り続けたのこぎり屋根工場。
からっぽののこぎり屋根工場は“光のプール”だった。
2014年秋、十六枚のプラスチックダンボールに描かれた壁画。愛知県一宮市の市民イベントで、市内在住の若手画家がライブペイントで仕上げた作品。ライブペイントは、路上に仮設された建築現場の囲い塀に十六枚のプラスチックダンボールを貼り付けて行われた。天地1メール80センチ、横幅14メートル40センチのカンバスになる。秋のイベント開催日を前に、数日間に渡ってライブペイントが行われた。画家は、一宮市の名所となる建物や風景を織り交ぜて描いていった。イベントの開催は一日限り。一宮市民による一宮市民に向けてのメッセージを享受する。
イベント終了後、この壁画作品を巡回展示できないものか、と企画が立ち上がった。幸い、展示会場を提供してくれるという協力者の名乗りも挙がり、壁画の巡回展示が始まった。
翌年1月に、一宮市民会館で行われる成人式のサテライト会場を皮切りに。
5月には、市内の古民家をイベントスペースとして活用する敷地囲いの屋外塀。
8月からは、市内の民俗資料館内で天吊り。
12月には、岐阜市文化センターの壁面ギャラリー。
翌々年6月には、江南市の公民館。と巡回展示が進んでいった。
その後、一宮市内ののこぎり屋根工場を展示会場とする計画が進み、2016年9月に約一ヶ月間の展示が決まった。
愛知県一宮市は、尾州織物で経済発展をしてきた歴史があり、市内随所に毛織物工場として使われてきたのこぎり屋根工場が数多く点在する。その数は日本一の建造数とも言われている。しかし、今では毛織物産業の衰退と世代の交代も相まって、稼働を終えたまま、からっぽののこぎり屋根工場が静かに息を潜めているのが現状だった。その展示会場ののこぎり屋根工場もまた、約25年前に稼働を終え、現在は代替わりした若きオーナーによる展示会場として活用できないものか、との意思表明が重なっての進展である。
これまでの展示を振り返ると、壁画作品はあまりに大きい。日常の生活空間に収まり切る大きさではない。会場によっては、その全景を展示することができず、十六枚のうち何枚かを選んで描画の一部のみを展示する、という状況にもあった。のこぎり屋根工場内で全景を展示する方法はないものか、と思案を重ねた。
十六枚で構成される壁画を十六角形の筒状にして、描画面を内側に向けて展示する。という展示アイデアが決まった。壁画鑑賞には十六角の内側に入る必要がある。そのための入り口として、一角だけをスリットにして十六枚の壁画を天上から吊り下げる。という展示方式が考案された。
十六枚の十六角柱の壁画が宙に浮いた。
のこぎり屋根工場のほぼ中央に位置する柱を中心に、内側に向けての十六角形の壁画が宙に浮いたのだ。円周が14メートル40センチとなる十六角柱。そこに閉じた空間内部は8畳ほどの広さになるだろうか。鑑賞者は、一宮市の名所となる建物や風景に取り囲まれることになる。ちょっとした茶室をイメージできなくもない。これはかつてない展示様式となった。
のこぎり屋根工場の中央に浮かぶ十六角柱の壁画。それは、のこぎり屋根の北窓からの自然光に包まれていた。のこぎり屋根の明かり採りの構造は、毛織物工場の機能として必要不可欠なものだったと聞く。北側の屋根に広く設けられた採光部。それは工場内に均一のやわらかな光を取り込む工夫だったと。屋根の形状がのこぎりの刃のように角度を持たせることによって、工場内部に影をつくらない光の回り込みを実現している。360度の方位から均一の光に包まれることになる。自然光にあって決して眩しさを覚えない。ここは“光のプール”だと思った。
壁画の巡回展示からたどり着いた“光のプール”。それは、一宮市民のイベントから、一宮市の産業遺産とも言える象徴的な建物との出会いだった。今でこそ、多くがその活用用途を失ったまま、時の流れに任す現状にあるものの、人間がのこぎり屋根工場に体感する空間構造には特筆できるものがある。それは、一歩足を踏み入れた者にしか味うことのできないものだろう。そこには人がモノを作り出す力を支援する環境が整っている。人が、自身の裡に耳を傾けることができる空間。そんな空間を日常的に確保できることが、人の喜びにつながって行くのではないだろうか。
あたりまえの工場。あたりまえ過ぎる毎日の中にあった喜びは、声を大きくして語られるものではないかもしれない。それでも、忘れてはいけない喜びの原点が確かにあった空間。それが人々の日常から消えていくことに、人として大切なものの喪失感を覚える。
私は今、そののこぎり屋根工場の一角を間借りして、私の日常の一部として取り入れている。下手の横好きで藁細工や木工など、日常使いする道具の製作に勤しんでいる。