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[1370] 【考察】:ノコギリアン文庫『断章“ノコギリヤネのある風景”』
     aoki@dwks 2023/11/20(月) 22:20:18

[1387] 8.5 真夏の夜の“キョウエン”(番外編)
     aoki@dwks 2023/12/13(水) 09:34:15
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[1388] 「ノコギリヤネ 100 年マップ」
     aoki@dwks 2023/12/13(水) 12:29:18
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by  aoki@dwks    2023/12/13(水) 09:34:15

Re:https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1386;id=ad138 > 「からっぽ」の中での「からっぽ」から繰り広げられたアート。 8.5 真夏の夜の“キョウエン”(番外編) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/20230823_noko-fukei-15_bangai.pdf 2023.8.23 1. “からっぽ”の中の“からっぽ” > この展示空間の大きさは、100u程であるが、大きな“からっぽ”である。創造力の原泉である一方、ここで展示をする者は、この空間に対峙する覚悟が要求される。さて、今夜のアーティストは、ここにどのような「場」を創るのだろう。 > 上から見ていて気づいたことがある。移動の軌跡だ。それは、ほぼ円弧を描いていた。中央には踏み込まない。まるで、真ん中に“からっぽ”を造り、それと対話するかのように。お前たちの視線は、一挙手一投足を追っかける。手で指し示す先を見る。顔を上げれば、その先を追う。そうして、時間を掛けながら、お前たちは、この“からっぽ”の器そのものを隅から隅までを眺めることになった。モノローグ(独演)のように見えるその動きは、のこぎり二との共演から生まれたものに違いない。 > アーティストは、見えないものを見せてくれる。マレビトも同じだ。身近にありながら見ていなかったのこぎり二の“からっぽ”をあらためて気づかせてくれたという訳か。 この紙面に添えられた“舞”の写真(図)。ノコやんの力作(ブリコラージュ)です。傑作です。時間と空間を切り貼りして「からっぽ」を描いている。右奥の白い漆喰の壁には、南方熊楠の萃点の図が象徴的に嵌めこまれている。 「からっぽ」に魅せられ(見)た者だけに描ける“図”なのかもしれない(見えないもの“エネルギー”を見せてくれる)。それが個々の行き先を変えてしまう。ノコやんが自身の裡なる“図”を具現化したように。そこには自身との「対話」があったはず。 互いの“自身との「対話」”同士が絡み合うのが「萃点」という“場”なのかもしれない。時間と空間が凝縮された“場”。それが現実に起こり得ているという“縁起”。わたしたちはそんな日常の中で暮らしている。 > それは、単なる調和、融合ではなく、自立した主体が輻輳するポリフォニーである。 > パフォーマンス終了後のアーティストを交えた“饗宴”。地産のスイカをいただいた。アートの地産地消。そんなフレーズが浮かんだ。いや、地産地生だろうか。独自の地域のリサーチから始まるアートが地域を再生する。 ・アート鑑賞を軸にした対話から育むもの ※ノコやんの「ブリコラージュ」という手法。 ノコやんの手元には膨大な写真資料(図)が保管されているのだろう。写真は時間と空間を切り取った絵(図)でもある。それらを任意に再構築して見えてくるものが「ブリコラージュ」。思考もまたしかり。 私たちの経験や記憶、想像や創造もまた、自身の中で「ブリコラージュ」された“今”があるのかもしれない。 添付画像【1387_2023-12-13.JPG : 270.1KB】

[添付]:1387_2023-12-13.JPG(270.1KB)
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by  aoki@dwks    2023/12/13(水) 12:29:18

Re:https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1387;id=ad138 > ・アート鑑賞を軸にした対話から育むもの 「ノコギリヤネ100年マップ」は、ノコギリアン文庫フェア2021(2021年5月23日-7月25日)にて発表された作品です。 https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/_ex/Fair2021/ この会期中に、「Symposium“ノコギリヤネのある風景”から見えてきたこと」(2021年6月27日)が開催されました。 https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/_ex/Fair2021/symposium-2021_1.htm この展開記録は以下に収録されています。 https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=ntr;tree=1111;id=ad138 そして、ノコやんは以下の「開催後記」を残しています。 ● 6・27 シンポジウム「ノコギリヤネのある風景から見えてきたこと」開催後記(2021.7.7) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/_ex/Fair2021/lib/20210707-kouki.pdf > そもそもシンポジウムで伝えたかったことは何か。それは、ノコギリヤネを個人の内面を反映した「風景」としてとらえること、その先に「コウバのあるまち」がイメージできそうなこと、それを説明する手段として「ノコギリヤネ 100 年マップ」を作成したことでした。「コウバ」とは、「公場」であり、公は「ム(私)を八(開)く」と書けます。そして、私自身が「のこぎり二」に出会い、行き先が変わってしまうほどのエネルギーを得る“萃点(すいてん)”を実感したように、それは市内に残るノコギリヤネが持っている可能性であり、その中からいくつかのノコギリヤネが「コウバ」として開かれ、「まち」が元気になることを期待するものです。 漠然と、ですが。ノコやんの信条(心情)が「ノコギリヤネ 100 年マップ」という作品に込められています。会期中、この作品を前に、おもしろい鑑賞シーンがありました。 ・[1154] 20210617:本日の観覧者(談話)- 2021/06/17(木) - https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1154;id=ad138 > 「鏡のように見えます」 > え?カガミ...ですか?どこがカガミなんでしょう? > .... > (※添付画像参照) この鑑賞者もまた、展示作品との対峙の中で「特異点」を見つけ出してしまったのではないでしょうか。立ち会いの中で、とても素直な感想が心に響いたことを覚えています。そしてその不思議さを興奮の中で一緒に楽しんでいました。なるほどな、と。 作品「ノコギリヤネ 100 年マップ」の見せ方として、「時間」と「空間」という概念を如何に受け留めてもらえるか?という課題と狙いがありました。そのために作られた「覗き穴」(鑑賞点)。それもまた「からっぽ」だった、ということでしょうか。 現実でありながら現実を超えた不思議なものを想像してしまう。それは“その場”に臨場してこそ得られる感覚。それが、アートのチカラ、作品の力。ノコやんは「可能性への期待」を手探りしていたが、自身の「番外編」(http://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1379;id=ad138)を追っていく中で、「アート(表現)の可能性」を具体的に見い出していく。「ノコギリヤネ 100 年マップ」がアート作品であると同時に、ライフワークにもなっている「Artbook」の制作もまた表現物である。 https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/nokoyane_artbook.htm これらとの「対話の機会」を日常的に「置く」ことが、「ノコギリアン」の活動スタイルなのだろう。「ノコギリアン」の「扉」は、いつでも開いています。 添付画像【1388_2023-12-13-11.JPG : 186.4KB】

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