バトンプロジェクト:二坪の眼 for PDA

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by  aoki@dwks    2023/12/12(火) 12:28:28

Re:https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1385;id=ad138 > そこで発するあなたのことば(表現)を点検してみてください。 「のこぎり二」で開かれた二つの祝祭(番外編) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/20220921_noko_bangai.pdf 2022.9.21 この章は、「のこぎりニ」という「ノコギリヤネ」の「からっぽ」の中で展開された二人のアート・パフォーマンスの記録です。 ノコやんはマスミダカラスに代弁させるように記しています。 ---全文転記--- ●0903「のこぎり二」のオニから聞いた話 @ サウンドインスタレーション:北條知子 オレは「のこぎり二」に棲むオニである。オレに見えるものが人間には見えないことがあるようだ。その日、「のこぎり二」で起きたこと、オレが見たことを教えてやろう。 そのアーティストが持ち込んだモノは、釣鐘のような形状をしており、言葉が書かれた短冊で網目状に構成されていた。短冊に書かれた言葉に「いのち」が宿ったのだろうか。それは、制作者の意図を超えて、進化していったのかもしれない。この「のこぎり二」の中で。 釣鐘の中から縄文琴の音が響く。この地域がまだ海であった時代を思い起こさせる。古代から人間は織物を紡いできた。その多くは女性の手によるものだった。ある時は、織姫ともてはやされた。オレはずっと見てきた。言葉と現実の間に存在するものを。 「ウツホ(空洞)」の中で、琴の音が風を起こし、釣鐘を解きほぐしてゆく。そして、言葉が宙にさまよい始めた。暑さの中で汗が滲み出し、言葉が身体にまとわりつく。やがて言葉は体内に浸透し、血液とともに身体全体を巡り始める。そして、ウチから湧き上がるものがある。 「ガチャマンの呪縛」という言葉が聞こえた。いまだに、一時の繁栄の中に多くのものが仕舞い込まれている。生きていく上で大切な何かを。そろそろ、土地も人もその呪縛から解放される頃だろう。オレが見たのはその可能性だ。ウチから音を発するということによって、ウチから開いていくということ。この「ウツホ/からっぽ」から発する音によって。 ●0903「のこぎり二」のオニから聞いた話 A サウンドパフォーマンス:恩田晃 「のこぎり二」に一人の祭司が召喚された。西洋のベルを携えて。それは、「広場」から始まった。広場では、多くの出会い、別れがあり、旅立ちがある。彼はソトに出た。一行が続く。ソトは闇だ。オレは閃光と雷鳴で迎えた。やがて周りが見えてくる。ウチでは見えないもの、聞いたことがないものと出会う。そして時が過ぎ、ウチに帰る。今度は工房エリアを巡行する。 小さなコミュニティの中を歩いていく。ベルの音に大地は目覚め、初めて訪れた者も、身体から大地の記憶を受け取る。やがて、例の釣鐘の前で立ち止まる。その前に小さなベルが並べられていく。その数は奇しくも 13。そこで、コミュニティが祝福される。 そして、おもむろに二つのベルとともに、彼は「境界」を超えて行った。そこは、大きな力を鼓舞する祝祭の場。しかし、彼はひるむことはない。こちらとそちらに違いはない。そうだ、ここは「のこぎり二」だ。だが、彼に続く者はいない。そこに「境界」を見てしまったのかもしれない。しかし、境界に踏み込むことで、開くことができるのかもしれない。例えば、呪縛を解くために。 時間が流れ、再び、広場に戻ってきた。「ウツホ/からっぽ」の伽藍に響き渡るベルの音に、記憶が再び呼び覚まされる。祝祭は終わり、また日常が始まるのだ。「のこぎり二」の新たな日常が。これが、オレの見たことだ。さて、オマエには、何が見えた? ---- そして、 > 機織り唄の釣鐘と西洋のベル。それは「ウツホ」から音を発するもの。ソトからの力ではなく、ウチから生まれる日常の力。新たな開き方の可能性を見たように思う。 と結んでいる。 「ソトからの力ではなく、ウチから生まれる日常の力」。 「からっぽ」の中での「からっぽ」から繰り広げられたアート。 ・アートのチカラ ・表現することの力 ノコやんもまた、表現者のひとりである。 表現者が表現者に呼応する「時」、 受容は“自由”だ。 表現の“場”が日常(まち)の中にあること。 そこにウチから生まれる可能性がある。

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by  aoki@dwks    2023/12/11(月) 12:59:38

Re:https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1384;id=ad138 > 「ノコのある風景」の中でも重要なキーワードになっています。 ・オワリの大きな“からっぽ”・一宮 (断章“ノコギリヤネのある風景 ”その5) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/20200923_noko-fukei-5.pdf 2020.9.22 1.“からっぽ”になった一宮 2.“からっぽ”から生まれた「ガチャ万」 3.“からっぽ”、ウツホ、ゼロ・・・それは始まりのチカラ 4.「一宮という虚構」あるいは「オワリのからっぽ物語」 ※この章から「マスミダカラス」(対話)が登場しています。 以下、マスミダカラスの台詞から抜粋... ・神社なんて、“からっぽ”の器さ。何もないところに、人々の思いが籠り、それが大きな力を溜め込む。...“からっぽ”は使い方次第だ。そこから生まれる力は大きい。 ・それは、何もないのではなく、何ものにもなる始まりのカタチだ。だから、モノ、人が集まる。 そして... 『 この“大きなからっぽ”がガチャ万を生む契機となり、そのガチャ万に呪縛された象徴であるノコギリヤネは無数の“小さなからっぽ”として、この地域を変えていくかもしれないという期待 』 と結んでいる。 「からっぽ」は、マスミダカラスの“俯瞰の眼”によって映し出された。人間の視点からでは見えないものなのかもしれない。地べたにへばりつく二次元な視界からは見る(感知する)ことはできず、「高さ」を持った三次元な視界を得てはじめて見えてくるもの。その「高さ」という次元は、想像力で補えるものなのかもしれない。ノコやんが「マスミダカラス」を登場させたように。 「からっぽ」は、すべての人に見える(感知できる)ものではない。 「からっぽ」が見えた(感知した)人でも、その見え方は様々である。 「からっぽ」には、自身(の裡)が投影される。 「からっぽ」は、自身が表現者となる「入口」でもある。 そこで発するあなたのことば(表現)を点検してみてください。

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by  aoki@dwks    2023/12/10(日) 23:52:55

Re:https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1381;id=ad138 > 知覚できないものを > 知覚できないものとして > 受け留める術はあるのか? ノコやんは「ノコのある風景」の中でも「からっぽ」「ウツホ」ということばを多用しています。このふたつのことばは同義と受け留めていいでしょう。 2017年11月3日 ここで、ノコやんは「ウツホモノガタリ」という座談会(のこ座)を主催しています。 第十四回「のこ座」 『ウツホモノガタリ・ノコギリヤネ  https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/nokoza14_report.pdf 「ノコのある風景」がはじまったのが2019年12月30日ですから、ノコやんの「ウツホ」「からっぽ」は、それ以前から温められていたイメージなのでしょう。 「ノコのある風景」の中でも重要なキーワードになっています。 さて、ノコやんの示す「からっぽ」「ウツホ」は、いったいどんなものなのでしょうか?南方熊楠の「萃点」のイメージが根底にあるようですね。 あなたには感知できますか? ノコギリヤネの「からっぽ」が。

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by  aoki@dwks    2023/12/09(土) 21:18:09

『感情の粒子』:本日の鑑賞者(20231209) ありがとうございました。 https://36way.net/nag/nag2022_001.htm https://36way.net/nag/nag2022_002.htm ---- entanglement 『感情の粒子』 https://bit.ly/3T0sRnY 添付画像【1383_DSC_3193.JPG : 1.1MB】

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by  aoki@dwks    2023/12/09(土) 12:47:49

Re:https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1378;id=ad138 > 「迷い人」が不意に遭遇した対象物によって「縁起」が発生し、自身の行き先が変わる。 縁起装置が作動すると、心身ともに「ブッ飛ぶ」感覚を覚える。自身の行き先が変わってしまうのだから。 ノコやんは「縁起」ということばを持ち出すことが多い。自身の実体験を記していくなかでも、遭遇する場面に「縁起」を感じているようだ。そして「からっぽ」(ウツホ)がレイヤーされていく。 「縁起」が発生するには「からっぽ」の“場”が必要なのだろう。「からっぽ」はいつでも「縁起」が発生できるように準備万端という状態で満たされた“場”でもあるのだろう。そこにノイズが流れていると「縁起」は発生しない。 「自身の行き先が変わる」という表現にも、外部からの得体の知れない大きな力によって「自身が変えられる」というニュアンスではなく、自らが内側から気づいていく。という経路を示しているように見える。 衝撃は大きいが、どこか自身と重なるフィット感のような静かな快感を覚えるのではないだろうか。その後に展開される「自身との対話」には、これまでとは違った風景が見えてくるのだろう。 “ノコギリヤネのある風景”は、それぞれが自身の中に広がる風景なのかもしれない。そんな風景を持ち寄ってのダイアローグ。そこに、ノコやんは可能性を見出してるような気がする。 それにはまず、みんなが「自身の“縁起”の風景」を描かなくちゃね。

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by  aoki@dwks    2023/12/07(木) 12:25:51

『 知覚できないものを 知覚できないものとして 受け留める術はあるのか? 』 what you can not recognize as something unrecognizable Is there a way to accept it?

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by  aoki@dwks    2023/11/30(木) 23:22:36

【考察】:ノコギリアン文庫『断章“ノコギリヤネのある風景”』 ▼http://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=ntr;tree=1370;id=ad138 ---- ノコギリアン文庫『断章“ノコギリヤネのある風景”』 (2019.12.30から連載中) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/nokoyane.htm 著者:ノコギリアン(今枝忠彦) https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/prof.htm ---- Re:https://div.36way.net/bbs/brd.cgi?cmd=one;no=1379;id=ad138 ノコギリヤネ・トライアングル ・ノコギリヤネ・トライアングル https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/20220406_noko-fukei-11.pdf > のこぎり二のある篭屋を起点に、起、玉ノ井地区を結ぶ「ノコギリヤネ・トライアングル」が浮かび上がる。 > 三つのノコギリヤネの間に生まれた「共同的な関係」に注目 > のこぎり二には、多くの生命体が交錯する。その出会いによって未来の変わる縁起空間である。そして、「からっぽ(ウツホ)」であるノコギリヤネは、個々の生命体の「身体」として、創造的活動を導いていくのではないだろうか。 ノコやんは、「三点」を結ぶ考察がお好みと見える。その上で「のこぎり二」の息使いに身を置いている。 互いになんの関係性もない「三点」に着目し、結んで見る。ノコやんはこれを「星図」と呼んでいる。これは、ものの捉え方ひとつで見え方(在り方)が変わってくる、という提案でもあるのだろう。 あなたなら、「まちの三点」をどのように結びますか? ソコに見えてくる「星図」に「まちの未来」が描かれる? ・寓話「ノコギリヤネのつくる星座のまち」 https://div.36way.net/ad138/nitsubonome/nokogirian/lib/20220707_noko_bangai.pdf

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