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by aoki@dwks
2019/12/13(金) 06:14:52
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参加者:6名
・Tadahiko Imaeda(ノコギリアン)さん(神奈川県在住:都市計画プランナー、https://www.facebook.com/tadahiko.imaeda)
・halnoholidaysさん(江南市在住:ドライフラワーと真鍮のアクセサリー作家、https://www.instagram.com/halnoholidays/、@halnoholidays)
・尾州織姫工房:3名(飛び入り参加)
・私(二坪の眼:ホスト、https://www.facebook.com/nitsubonome/)
以上。
今回は飛び入り参加も含めて過去最多の参加者数となりました。
ありがとうございます。
ノコギリアンは今回も藤沢市からのご参加です。
持ち寄りのお菓子はドーナツに集中しました。それを予測したノコギリアンは「たこせんべい」を持参。
持ち寄り菓子の意味づけ語りから始まった今回のセッションは「ドーナツを巡るアーチストトーク」の様相となりました。
@halnoholidaysさんが描いたドーナツのイラスト画に高評価と関心が集中し、その描画技法の奥義を聞くこともできました。「私は影を描いただけなんです」と。
一方、地理学的に「街」の形成を考察するノコギリアンは、街の文化はドーナツ状に広がりを見せる、と俯瞰する。街の中心とは何か?それは「空洞」である。空洞とは何か?たとえば一宮は、そこに「真清田神社」が位置する、と。「一ノ宮」とされる「真清田神社」の謎に迫るノコギリアン。そこには諸説あると前置きしながら、空洞である中心と栄える文化の周辺との関係性について持論を展開する。この史観は、今後も個別事象が上るごとにノコギリアンの解説がメスを切ることになるだろう。
私の意識から始まったとされる「ドーナツ」議論。それはまだツイストドーナツには至っていない。ツイストドーナツを探してはみるものの、どうやら「街には見かけなくなっている」との見解が浮上してきた。
果たして「ねじれたドーナツ」は見つかるのだろうか?
そして、ドーナツの「ねじれ」を見た時、我々は何を感じるのだろう?
「ねじれ」の「影」を見てみたいものだ。
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