> > しめ縄の材料は、出穂前の青々とした稲を刈り取った「わら」である。
これは、田んぼに従事する農協関係者の長老も同じことを言う。
でも、なぜか、私には釈然としないものが残る。
お正月を前にして供える注連縄を出穂前の時期から用意するものだろうか?
ましてや、神事とは言え、出穂前に稲を刈り取るという行為自体が不自然ではないのか?
私的には、収穫に感謝し、その稲わらで体現する、という流れのほうが生活のサイクルとしても自然のような気がするのだ。(縄の色の問題ではない、と)
聞くところによると、注連縄を生産する「産業」があるという。
それは現代社会のしくみとして組み込まれている、と。
考えてみれば、日本全国で一時期に注連縄を必要とする量はどれくらいのものだろう?
各人が手前でこしらえるには、収穫のあとに残された時間で正月には十分間に合いそうなものだ。
しかし、現代人は自分で「注連縄を編む」ということをしなくなった。それでも注連縄を欲しがる。そこに「産業」が成立するのだろう。そして、その産業を成立させるためには、収穫のあとに残された時間だけでは足りないのだ。注連縄を機械で大量生産することはできない、と聞く。すべては人間の手作業になると。そのために、材料は出穂前の時期、という時間が必要になったのではないだろうか、と。
注連縄の起源は、日本神話にあり、「天照大神が天岩戸から出た時、二度と天岩戸に入れないよう太玉命が注連縄(尻久米縄・しりくめなわ)で戸を塞いだ」ことから来ている、とも聞く。
また、稲作が始まった縄文時代だとする説もあるらしい。
しめ飾りの習慣が一般化し、現代と同じようになったのは室町時代、だとも。
いずれの時代の注連縄も「青かった」のだろうか?
ただ、注連縄は稲作と神事に深い関わりがあることには間違いないだろう。
それはいずれもが、生活と密着していることだ。
あるいは、神事のためだからこそ、出穂前の時期から時間を共にする、というのも分からなくはないのだが....。